2004-11-01から1ヶ月間の記事一覧

ほんとうに母が思ってたこと

幼稚園くらいの子どもさんをつれたお母さんをみかける。楽しそうに買い物をしている。「いいな〜。」と思う。しかし、一方では「60年後この親子はどうしているのだろうか?」と自分の身にひきくらべて考えてしまう。 母も同じだったのだろう。一人暮らしの…

母の生命力

髪をカットした。そして夜、自分で染めた。暮れも近い。 主婦だから、やはり忙しくなるだろう。 そういえば、母の髪も5cmくらい伸びていた。見やすい顔になっていた。 手術後1ヶ月の検診も「異常なし。」だった。(ドクターから、もう一度CTをとるよう…

紙は重い

紙が重いものであるとは知らなかった。車のある家庭はいい。私は、母のおむつを会社の帰りに買ってかえっていた。大きな布の袋に入れて・・・ そんな日にかぎって、列車が事故をする。(JRでよく自殺者がでたころである。)会社の人は笑いながら言った。「…

母がおしえてくれたこと

今90歳で元気な伯母が91歳でもかわらず元気とはいえないのではないか。 母は85歳まで1人で暮らせた。86歳では要介護2であった。 老いは潮がみちるように母の足元にやってきていた。 母は子どものころから、わたしを1人前にするためいろいろなこと…

このごろの母

母の車椅子を押してホームをぐるぐるとまわった。 母が歩けて時は、母のベッドの側で話ていたが・・・ あるところには本日の献立と書いてある。 昼はカレーライス、夜は大和煮とふろふき大根だそうである。 別のところには、「生ものは食べさせないでくださ…

母を訪ねる日

昨日10時半まで仕事をして、帰宅は11時半、朝目が覚めにくかった。 今日は母を訪ねる日、JRに乗ると乗り換え駅まで1時間半ぐっすりと眠ってしまった。 今日の母は調子がよく、もっていったプリンを「美味しい」と喜んで食べた。一時間くらいホームを…

子離れ

母が「退院したらminminと一緒にわたしの生まれた村で暮らしたい。」といったこをとちょきこに話した。 ちょきこは言う。 「おねがいだから、おばあちゃんみたいにならないで。」 「それは、無理。人間いつ呆けるか分からない。」 「違う。呆けたら、いいグ…

精密検査

友達で精神科のドクターにきいたことがある。 「精密検査ってなんでうけなきゃならないの?アルハイマーか脳血管性痴呆か鑑別できたとしても、治療できるわけじゃなし意味ないじゃない。どの先生も一度精密検査をしておきましょうっていう。」 友達は「慢性…

売店

わたしが子供のころ近所のお年寄りが「70、3つ児」と言っていた。70歳くらいになると、3歳児に変えるという意味だった。今は80、3つ児だけど・・ 母は今は3歳児くらいか。 母のもう一つの楽しみは売店である。2週間に一回くらいホームで開かれる…

母の楽しみ

慢性硬膜下血腫で入院して、手術をするまえ、つきそいで来てくれていたホームの看護師さんが「早く元気なって美味しいものを食べようね。」と母に言い残してホームへ帰った。 今の母の楽しみは美味しいものを食べること。 だから、わたしがホームへいくとき…

まだ、息子がこの町にいたころ、一緒に母のところへいったとき 「おばあちゃん、シルバーカットやな!」と言った。 確かに母は入所してから、髪のしたを短く刈り上げて男性の髪のようである。 同居してるころは、デイケアセンターでカットしてもらっていたが…

母の希望

母の今の希望は「ここを退院したら、生まれた村に帰って、minminと2人で暮らす。親1人、子1人じゃもの2人で肩を寄せ合って生きて生きたい。」ということである。 母の生まれた家は、母の甥が定年退職をして帰農している。もちろん、母が行って住めるとこ…

あきらめる

赤ちゃんは大きくなるに従って新しい機能を獲得する。本人も家族もうれしいことだ。しかし、老人は逆である。本人はそれを素直に受け止められるときと、できない時がある。母は記憶ができなかったときと今度の歩けなくなったことが、自分で納得できないこと…

動く楽しみ

母は歩けなくなったと言うことを自分で受け入れることができないようだ。 わたしが行くと「車椅子のベルトをはずしてほしい。」と言う。はずしても、立ち上がることはできないが、ベルトをしているから、立ち上がれないと思っているようだ。車椅子の両側に手…

さらにに失ったもの

歩けなくなって母は自分からトイレへ行こうと言う意志を失った。 かえって、ヘルパーさんには迷惑はかけなくなったようだ。トイレに近い部屋から、少し離れた部屋に変わった。当然であろう。トイレへ行く意思のある人のその人の意思を尊重することが大切なの…

歩く

慢性硬膜下血腫の手術後母は歩けなくなった。今は車椅子を使っている。 わたしが入院したとき手術をしたため、48時間歩かなかった。 手術の次の日「トイレにいってよい。」と看護師さんに言われ、ベッドをおりたが、一歩足を前に出そうとすると、堅い床な…

クリア

母の母(私の祖母)は母が6歳のときになくなった。母は義母に育てられていた。 ホームでいつもわたしは母の両親の名を聞く。母が答える母の名は実母である。 そして「お祖母ちゃんのお母さんは早くなくなった。後からきたお母さんは意地の悪い人だった。学…

バロメーター

母を訪ねると、いつも、母に聞く。 「おばあちゃんのお父さんの名前は?」「お母さんの名前は?」 「お祖母ちゃんのお兄さんや、お姉さんの名前は?」 普通はいつものように答えられる。もちろん、私の父の名は答えられなかったが・・・・・ あるとき母は、…

そのころ母は・・・

わたしが入院中、ちょきこが一度母を見舞った。 「ちょきこです。」って言ったけど、やっぱり、「わたしの孫のちょきこはまだ、小さい子です。」って言うだけ、「わたしのことは全然分からない。」 「職員さんは『お祖母ちゃん、荒れてる』っていってたよ。…

私の入院

ある朝、おなかの激痛で目が覚めた。おさまる気配はない。かかりつけ医に電話で相談すると「、大きい病院で検査してもらいなさい。」といわれる。立ち上がることもできない。救急車のお世話で病院へ行った。腹部のヘルニアだった。 「手術をします。そのまま…

やはり・・・

その3日後、私の休日の土曜日、息子とちょきこと3人で母を訪ねた。 「伯母さん、来てくれたでしょ。」 「知らん!もう、長いこと会ってない。生きているのやら、死んでいるのやら!」 「この間、来てくれたでしょう。伯母さん、『会いに来た。』って電話あ…

伯母のお見舞い

ホームから電話があった。伯母がお見舞いにきてくれたという。「お見舞いを預かってますので、今度こられてときは、生活相談員に声をおかけください。」と言う。 伯母には、母が入所した時連絡しておいた。多かった母の兄姉で今元気なのはこの伯母だけだ。す…

「じゃ〜!もう1曲。」ちょきこが歌う。 春よ来い 早く来い 4人で続ける。 歩きはじめたてこちゃんが・・・ と母は歌った。 私たちは、歩き始めたみよちゃんが・・・と歌ったのだが・・ おんもへ出たいと待っている 息子はそのまま歌った。 ちょきこが問う…

歌う

息子の転勤前、ちょきこと3人でいったときのことである。 「おばあちゃん、歌うたおうか。」と息子。そして大声で歌いだした。 うさぎ追いしかの山 母も一緒に歌いだした。 小鮒釣りかの川 4人で一緒に歌った。 夢はいまもめぐりて わすれがたきふるさと …

帰る

帰るときもいろいろある。夜遅くなるのでもうそろそろと思っても母は「そのまま帰ってしまうのじゃろ!」と言ってかなしそうな顔をする。 「ちょっと食事をしてくる。」といって外へ出る。 心を残しながら、エレベーターでしたに降りる。息子は「minminさん…